+「なんか、最近綺麗になった?」千奈津がランチ中に言ってきた。社員食堂は今日も混んでいたけど、窓際の席をゲットすることができた。「そ、そうかな……」定食の白身フライをサクッと音を立てて食べる。十二月になり、街はクリスマスムードなのだけど、大くんはクリスマス特番の収録があってかなり忙しいらしい。「彼氏ができたら教えてよね」「あ、うん」「まさか、杉野マネージャーじゃないよね?」「ないよ。尊敬する上司止まりかな」ハッキリした口調で言うと「尊敬されて上司として嬉しいよ」と噂をしていた杉野マネージャーが後ろから言ってきた。たまたま話をしているタイミングでランチに来たらしい。聞かれてしまって恥ずかしく顔が熱くなる。「あ、俺にも男ができたら教えろよ? 上司として助言してやる」クスっと笑ってトレーを持ちながら去って行く杉野マネージャー。千奈津は「ウケるね」と笑っていた。大くんともなかなかうまくやっているし、職場でも仕事や人間関係もいい感じだ。きっと、これからもいいことが続くって信じよう。仕事に戻り合鍵のことを考えていた。あまり料理は得意じゃないけど……手料理を作りに行こうかな。今日は大くんが司会をやっている番組の収録があると言っていた。帰りは二十三時過ぎるみたいだから、着替えを買って泊まっちゃおうかな。いきなりそんなことしたら大胆すぎる?でも、なるべく離れたくないし、近くにいさせてほしい……。仕事を終えると真っ直ぐデパートに行って、安くて会社に着ていけそうな服を買った。そして温かいものを食べてほしくて豚汁を作ることにした。大くんのマンションへははじめて訪れる。携帯のナビで歩いて行くと高級そうなマンションばかりが建っているところにたどり着いた。背の高いマンションを見上げる。すごいところに住んでるんだなー……。なんか、来ちゃいけなかった気がしてくる。でも、勇気を出して入ろうとした時、タクシーが止まった。中から降りてきたのはなななななんと、宇多寧々さんだ。大くんと噂になっている美人なモデルさん。もしかして、大くんに会いに来たのだろうか……。オドオドしてはいけないと思いつつ、その場から動けないでいると寧々さんが近づいてきた。「あなた……」意味深な声で言われた気がしたけど、気のせいだろう。寧々さんは、私にまっすぐと視線を向けて
「何作ってくれたの?」「あ、豚汁……。でね、ご飯を炊こうかと思ったんだけど」「いいよ。俺、夜は炭水化物抜いてんだ。太っちゃうからさ。美羽食べるなら炊いてあげるよ」「私はいいの。味見で、お腹けっこう膨れちゃったから」「美羽らしいな」クスクス笑って鍋の蓋を開けてかき混ぜた大くんは「ウマそうじゃん」と言ってくれる。味の保証はできないけど、一生懸命作ったのは間違いない。食卓テーブルに向かい合って座り、お椀に豚汁を注いだだけの夕食がはじまった。サラダとか、いろいろ作っりたかったんだけどな……。大くんは、ニコニコしていて「美味しいよ」と言ってくれる。「ちゃんと出汁も効いているし、野菜の甘みも溶け出して美味しい。美羽、料理の腕上げたね」「ありがとう」大好きな大くんに褒められると素直に嬉しい。幸せな時間が流れているけど……。ふと、寧々さんのことを思い出す。聞いてもいいのかな。でも、怖くて聞けない。「美羽、もう遅いから……泊まるよね?」「うん。そのつもりだったけど、迷惑じゃない? 突然押しかけちゃってるし」「迷惑なわけないだろ。今日からでも一緒に住みたい」真剣な眼差しにくらりと、めまいを起こしてしまいそうになる。私も、一緒に住みたい……でも、お父さんとお母さんになんと言えばいいのだろうか。「実はさ……メンバーに美羽とのこと、伝えたんだ」急に声のトーンが下がった。あまりいい話ではないのかもしれない。でも、覚悟を決めて話を聞く。「二人とも過去のことを謝ってくれたよ。でもさ、交際は反対だってさ。もしも、俺と美羽がゴールインしたら、過去のスキャンダルがバレてしまうかもしれないから……」「……そうなんだ」心に冷たい塊ができていく気がした。やっぱり難しい恋愛なのかもしれない。「だから、解散して結婚したらどうだって言われたんだ。なんか、寂しいよな。力を合わせて頑張ってきたのにさ」私のせいで大くんは悩んで苦しんでいる。やっぱり、結ばれてはいけない運命なのだろうか。「心配するな。ちょっと時間はかかるかもしれないけど、祝福されるように頑張ろう。ご馳走様でした。さ、美羽。風呂入ろうか?」「どうぞお先に」「一緒に入るんだよ。片時も離れたくないから」顔が熱くなる。たしかに、付き合っているんだしそういう関係になるのは予想がついた上で家に来たのだけど……。
朝、目を覚ますと大好きな大くんがいる。お互いに傷ついて色んな過去があって、乗り越えて、今やっとこうして穏やかな時を過ごせている。ベッドから抜け出して窓から空を見上げるとチラチラと雪が降っているが、天気はいい。――はな。ママは、大好きなあなたのパパと過ごせて幸せだよ。会えない間に大くんは偉大な人になってしまって、私は不釣り合いなんじゃないかと今でも思ってしまうけど、もう離れないって決めたのだ。強くならなきゃ。着替えを済ませ、メイクをした。大くんはまだすやすや眠っているみたい。このままずっと顔を見ていたいけど、遅刻してしまうから行かなきゃ。起こすのは可哀想だから、そのまま部屋を出て行った。エレベーターに乗ると下の階で止まりドアが開くと、寧々さんが立っていた。彼女は私を見つめてしばらくその場で固まっていたから『開』ボタンを押して微笑みかけた。「降りますか?」「ええ……。ありがとう」中に入ってきてドアが閉まると、寧々さんは振り向かずに小さな声で話しかけてくる。「大樹の部屋に泊まったの?」「え……」「ハッキリ言いなさいよ!」大きな声で怒鳴られて、振り向いた寧々さんは私を思い切り睨んだ。手には握りこぶしがあり、プルプル震えている。あっという間に一階に着いてドアが開くと「疫病神ね、あなた」と言われ颯爽と出て行った。疫病神…………。気にしちゃいけない。大くんを信じなきゃ。大くんは、私を愛してくれているんだから……。
+大くんと会った次の日の夕方のことだった。「え、契約がなくなったんですか?」千奈津の声が響き渡った。一月に撮影予定を組んでいたCOLORを起用したコマーシャルの話がまとまりつつあったのに、白紙になってしまったのだ。私と千奈津は杉野マネージャーに呼び出しをされていた。会議室はもうすでに暗くて電気が煌々と光っている。大くんとまた仕事ができるかもしれないと思っていたのに。……いや、それどころじゃない。我社にとって大きすぎる駄目ージだ。「どうしてですか!」千奈津は遅くまで会社に残って企画を練っていたから、大き過ぎるショックだろう。身を乗り出して聞いている千奈津。私だって同じ気持ちだ。「……わからない。突然だったから。参ったな」困った顔をして頭をかいている杉野マネージャー。次の案を練ってタレントを探してなんて、間に合わない。「タレントは諦めて、アニメーションか何かで対応するしかないか……。気持ちを切り替えないといけないってわかっているんだけど、あんなにいい雰囲気だったのに。一体、何があったんだろうか」――疫病神。寧々さんの声が頭を過ぎった。私がこの企画に携わったからなのだろうか……。その日は遅くなってしまい、大くんに連絡をしないまま眠ってしまった。
次の日は、朝から急遽新企画を作り上げることになって、忙しい一日だった。仕事を終えて会社のビルから出たのは二十一時。「なんだろ」高級車があったから偉い人の用事でもあるのだと思った。すると、中からスーツを着た男性が出てきて、私の方に向かってくる。固まっていると目の前に来た男性は「初瀬美羽さんですね」と声をかけてきた。「は……い」「宇多寧々のマネージャーです。車に宇多がいます。少しお話したいことがありますので、お時間をいただけますか?」逃げ出したかったけれど、わざわざここまで来るということは大切な話があるに違いない。宇多寧々さんは、大くんのことが好きなのだ。きっと私が邪魔なのだろう。「有名人が私になんの用事でしょうか?」大声で助けを呼ぼうかと考えつつ、警戒しながら男性を睨む。「紫藤大樹についてお話があるそうです」その名前を出されると、私は行かなきゃいけない気がした。危険な行動かもしれない。でも、逃げてはイケない気がした。後ろの席のドアが開かれて中に乗ると寧々さんが不機嫌そう表情をしていた。そして、綺麗な顔を向けてくる。「急にごめんなさいね。あなたにお話があって」「……いえ」車はその場から動かない。外からは中が見えないようにスモークガラスになっている。まさか、大スターがここにいるなんて誰も思っていないだろう。シーンとする車の中で寧々さんは、ゆっくりと口を開く。「単刀直入に言うわ。大樹はあたしのものなの」「ものって……そんな乱暴な言い方はどうかと思います」負けちゃいけない。気を強く持たなければとの思いが、強気な口調となってしまった。ふっと鼻で笑われる。「あなた、あたしが誰だか、わかってるの?」「宇多寧々さんです」「そうよ。世間を動かすことができる女なの。大樹に近づかないで」「……嫌です。大くんは、私を」「契約が、駄目になったでしょ?」私の言葉を遮るように質問してきた。「え?」「あれは、ほんの忠告みたいなものよ」「…………」こんな意地悪な人を大くんが好きになるはずがない。「これ以上、大樹に近づいたらどうなるか教えてあげる」ニヤリと笑って寧々さんは説明をはじめた。「まずは、大樹の事務所の社長にあなたと会っていることを伝えるわ」社長って、私が妊娠した時に一番反対していたあの人のことだ。「きっと社長はあ
「そんなワケありの社員がいるなんて知ったら、速攻であなたはクビになるでしょうね。ご両親も悲しむわね」クスクス笑って勝ち誇ったような表情を見せてくる。「あなたが大樹に近づいた罰。大樹はあたしと結ばれる運命なの。世間の人だってそう思っているし、応援してくれていると思う」自信満々に言われると、何も言い返せない。たしかに大くんにお似合いなのは寧々さんだ。情けない気持ちを押し殺しつつ、冷静に考える。でも、本当に寧々さんにそんなに力があるのだろうか。「寧々さんはすごい人かもしれませんが……」「それがね。できちゃうんだなぁ。あたしのパパの力を使っちゃえばなんでもできるの」余裕たっぷりに笑っているけど、この人、悪魔だ。「どうして過去のことも知ってるんですか?」「大樹をビックにしたのは、あたしだから。パパにお願いしたの。もちろん、大樹にもCOLORにも売れる要素があったから、パパは動いてくれたんだけど」大くんを売り出すために、動いてくれた人……なんだ。きっと、寧々さんは早くから大くんを知っていて、近くで見ていて……芸能人としての彼だけじゃなく男性としても好いていたんだ。私と同じだ。でも、立つ土俵が違う。「あなたと大樹が結ばれても何もいいことはない。大樹がとあなたと結ばれたら、マスコミは一斉にあなたを徹底的に調べるのよ。そうしたら、過去のスキャンダルでバッシングの嵐になるでしょうね。COLORも衰退してCOLORの所属する事務所のタレントにも傷がつく。わかる?」その通りだ。それを理解したつもりで大くんと歩んでいく道を選んだのだ。でも、今すごく不安で怖い。押しつぶされてしまいそう。「それにね。大樹はあなたを好きじゃない。償いで一緒にいるんだと思う。大樹は、私のことが好きなのよ」「そんなはずないです」だって。大くんからは、愛を感じた。あれは、嘘偽りじゃないと思う。「大樹をこれ以上苦しませないであげて。もう会わないで」「……今すぐにはお約束できません。大くんのことが、大好きなんで……」私はもう逃げたくないと思って言い返した。過去は子供だったから大人の意見を聞かなければ駄目だと思っていたけど、今は違う。自分の気持ちで自分の生き方を決めていかなければいけないのだ。「…………降りて」「え……」「早く、降りて」怒鳴られて私は慌てて車から降りた
+毎日のように連絡をくれていたのに、ここ一週間大くんは連絡をくれない。忙しいのかもしれないと思って私からも連絡を入れずにいた。残業をしながら、ふーっと息を吐く。どうしちゃったんだろう。会いに行きたいけど寧々さんに会ってしまうかもしれない。ちゃんと大くんに、話したいと思っているのに勇気が出なくて連絡できずにいる。残業を終えて電車に乗ると、ホテルの広告が出ていた。もうすぐクリスマスだからホテルでディナーをと書かれている。いいな……大くんと一緒に過ごせたら幸せだろうな。こんなに好きなのにどうして我慢しなきゃいけないのかな。自分の家の前に着くと高級外車が停まっていた。「今度は一体、今度は誰?」小さな声でつぶやいた私が近づくと車の窓が開いた。「美羽さん」中から声をかけてきたのは、大澤さん――大くんの事務所社長だった。家まで調べられたのか。「お久しぶりね」「こんにちは」「夜遅くにごめんなさい。少しお話できないかしら?」「…………大樹さんのことですか?」「ええ。寒いから乗って」助手席に乗り込むと、大澤さんは相変わらず美しい。少し年齢を重ねた感じはあるけれど、あまり変わっていなくて昔のままだった。「十年かぁー。またあなたと大樹が再会するなんてね。驚いちゃったわ」座り心地のいいシートは、さすが高級外車という感じだ。どこのメーカーかはわからないけれど……。車の中にはクラシックが流れている。仕事が終わったばかりの私は疲れきっていた。「あの時は別れを決断してくれてありがとう。そのおかげで大樹は不動の地位を手に入れることができて、事務所も安泰なのよ」「いえ」「悲しい思いをさせてしまったことは謝るわ。私もあれから恋愛をして結婚をして子供も授かったの。自分が幸せになっていくたびにあなたへの罪悪感が出てきてね。気にはしていたのよ。どこかで幸せになっていてほしいなと願っていたわ」雨まじりの雪が降ってきて、フロントガラスを濡らしていく。「宇多寧々さんからいろいろ聞かされるまで、美羽さんと大樹が会っていることは知らなかった。大樹も年齢を重ねたし結婚をすることは賛成なの。ただね、芸能人ってイメージが大切でしょう? だから、有名モデルの寧々さんと結婚となるといい話題づくりになるし賛成しようと思ってたのに。大樹はあなたに会って償いの心が芽生え
「女は過去に愛されていた人に会うと、また愛されたいって思ってしまう生き物なのよね」優しそうに笑って私を見つめる。「スキャンダルが出て過去を知られることになったら、大樹もあなたも、美羽さんの家族も辛い思いをすることになるわ。過去よりも明らかにマスコミの情報収集力は上がっている。気をつけたほうがいい。あなたと大樹は交わらないほうが幸せになれるはずよ」「申し訳ありませんが……今回ばかりは離れたくないです」「……そう」「失礼します」まだ話をした方だったが私は車から降りた。大澤さんと別れて部屋に入りスマホを見つめる。――大くん、どうして連絡くれないの?不安で涙がつい溢れる。ご飯も食べたくなくてカーペットに崩れるように座ると、涙がボロボロと溢れてきた。もう、嫌……。耐え切れないよ……。スマホを握って電話をかける。「もしもし」『どうしたの? 泣いてるの?』「もう……駄目かもしれない」私が電話をした相手は全てを知っている真里奈だった。『……どうして、美羽ばかり辛い目に合うのかな。芸能人と一般人の恋愛は難しいかもしれないね。それに加えて美羽と彼には過去があるから……。償いで美羽に近づいたのかな。そうは思えないけど』「どうして連絡がないのかわからなくて……」『事務所か宇多寧々に邪魔されてるのかな。美羽、無理することないよ。美羽のタイミングで会いに行って、ちゃんと話しておいで』「うん」真里奈に話を聞いてもらえて少しだけ……心が軽くなった。でも、会いたくて会いたくてたまらなかった。大くん、どうして連絡くれないの?電話を切ってそっとカーペットに置く。「あ、思い出した」寧々さんと過去にも会っていたことを思い出したのだ。小桃さんにカラオケに連れて行ってもらった時、大くんと寧々さんは一緒にいたんだよね。私と同じ頃に出会っていたのか。なのに、なかなか手に入らなくて執着しているのかもしれない。寧々さんは手強い相手だ……。勝てる自信がないよ。はなのしおりをぎゅっと抱きしめる。「はな……。ママはどうしたらいいのかな」
「じゃあ、まず成人」赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。「……俺は、作詞作曲……やりたい」「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」社長は優しい顔をして聞いていた。「リュウジは?」社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」「いいじゃないかしら」最後に全員の視線がこちらを向いた。「大は?」みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。「俳優……かな」「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。「映画監督兼俳優の仕事。しかもで新人の俳優を起用するようで面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」社長が質問に答えると赤坂は感心したように頷く。「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。ずっと私から彼女は俺らのことを思ってくれている。芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとすればお腹が大きくなってきているので動きがゆっくりだ。ドアが開くと彼は近づいてきて私のことを抱きしめる。「先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「給食食べる?」「あまり食欲ないから作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであんまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくて思わず作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。「イチゴだ!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べて、子供の話をしていた。その後、ソファーに並んで座った。大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「元気に生まれてくるんだぞ」優しい顔でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくるとは思わなかったのだ。「名前……どうしようかなって考えてるの」「そうだな」「はなにしようかなと思ったけれど……『はな』は『はな』なんだよ。お腹の中の赤ちゃんははなの代わりじゃない」大くんは納得したように頷いていた。「それはそうだよな」「画数とかも気になるしいい名前がないか考えてみるね」「ありがとう。俺
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたことが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった 。しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。あまり落ち込まないようにしよう。大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。食事は、軽めのものを用意しておいた。入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。いつも帰りが遅いので平気。私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。